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序章「美唯子 失業中」
―美唯子 生活全般を修正する直前 少しだけ静かなひととき―
序−2 修太郎と出会う
最近なんとなく付き合い始めている事問(こととい)修太郎とは、土日のどちらかに公園や神社で会う。2歳年下で就職が内定したばかりの彼に負担をかけたくないし、母や子猫たちも気になるので、夜は早々に帰宅する。
修太郎とは、渋谷の駅前交差点で出会った。ナンパといえばナンパなのかな。信号待ちでぼ〜と立っていた美唯子の目の前に、爆弾で急襲された髪型の背の高い男が、突然現れた。目を見張る美唯子の目の高さまで顔の高さを下げてじっと目を合わせた。
「美味しいカレーが食いたいんですが、店、知りませんか?」
美唯子は渋谷に疎く、今日も、ただ東急ハンズにオーガニックのキャットフードを買いに来ただけだ。
「ごめんなさい。わかりません」
と言いながらも、困っている人を放っておけない性分で、周りの人を手当たり次第に捕まえては、カレー屋の名前を聞き出そうとした。まるで布教活動のように熱心に尋ねる二人に道行く人は思いっきり引いている。とはいえ、何人目かの人がサムラートを教えてくれた。
「よかったですね」
美唯子が渋谷駅前から東急ハンズ方向へ歩き出すと、修太郎が追いかけてきた。
「一緒にカレー食いましょう」
「え?もうお昼食べてきちゃったんですよ」
「じゃあ、カレー屋で何か飲みましょう」
美唯子は、照れているのか普段通りなのか、微妙な笑顔の修太郎がかわいいと思った。
渋谷の交差点から、道を間違えるだけ間違え、坂をあがったり下がったりして、道玄坂の曲がりくねった裏通り、松涛の住宅街や公園、東急本店、文化村、パルコ、東急ハンズでついでに買い物をし、NHKホール、表参道近くまで歩き、ほぼ渋谷駅半径2km範囲を踏破した。
サムラートにたどり着いたときには夕方になっていたが、修太郎は慌てるでもなく、看板を見つけて階段を降り、たんたんと席に着く。
方向音痴が二人の共通点だと気づく。美唯子は楽だった。
サムラートでカレーを食べる修太郎を見ながら、ラッシーをちびちび飲む美唯子。ナンをちぎっては嬉しそうにキーマカレーに漬して食べる修太郎は、ダール豆のカレーやムルギーも注文していた。
修太郎は特に自分のことを話さない。美唯子に質問をしない。店の音楽がいいねという。
「シタールの音とかっていいよね。ちょっと味見てみる?」
「うん」
修太郎はナンをちぎり、キーマカレーをたっぷりつけて美唯子に渡す。
「やっぱ、人が美味しいという店は美味しいね」
「うん(なんだろう、この自然な空気は)」
美唯子は、彼女にとって二口分以上の大きさのナンを一口でほおばり、1分くらい黙って噛みしめていた。静かな空気が、生まれて初めて心地よかった。
緊張型の美唯子は、今までプロパーの彼がいたためしがない。[さあお付き合い]的カチンコチン症状が彼女をおそい、初めて二人で会う段になると、想像を絶するそそうをしてしまうのだ。
食事中の会話で笑いをこらえきれず噴き出し、相手の顔を食べ物と飲み物でびしょびしょにしてしまう。相手の足にけつまずいて美唯子自身が転び、スカートが裏返ってパンツ丸出しになり、ひざを血だらけにする。出掛けにお化粧や髪のセットがうまくいかず、一緒にいる人が恥ずかしくなるような化粧や髪型で待ち合わせ場所に現れる。靴を左右反対に履いて出かけてしまい、相手に指摘されるまで気づかない。などなど…
それでもいいと言ってくれた人がほとんどだが、全部トラウマになってしまう美唯子は、自分から即やめしてしまう。
大人になってから一緒にいて自然でいられる男性は、他人では初めてだった。
修太郎と住所や電話番号を交換し手を振ったときには、もうすっかり夕飯の時間だった。それからなんとなくほぼ毎日、電話で話すようになった。
修太郎は、常に自分の髪型と戦う男である。今は、デビュー当時のひろみ郷のような、大きなカールが顔を覆うような髪型だ。ほぼ一月に一度髪形を変えている。彼は、月に6〜7センチ髪が伸びる。それが、髪型難民の理由だ。
修太郎は、山口県出身のどこか頼りない男である。俺について来い、とか、幸せにする、とか、俺がルールブックだ、とか絶対に言わない。たぶん自分から結婚しようと言う事もないだろう。美唯子は、彼のそういうところにほっとする。
特に何かにこだわりがあるわけでもなく、仕事や勉強に入れ込むわけでもなく、マニアックなところもない。薀蓄は言わない。車や時計に興味がない。ブランドはよく知らない。マニュアル本は読まない。お笑いとかを見ながらよく笑う修太郎を見てると、なんだか癒される美唯子であった。
「こんなふうが続くはずはないのかな。すごく幸せなんだけどな」
自分で生活する力をつけなければいけない。稼がなければ。母の苦労を子供のころから見てきた美唯子は、人一倍責任感が強い。でも、今のこの楽な不満のない毎日、温かい語らない修太郎といる人生の休暇を長引かせたいと思ってしまうのであった。
「(タマやクーみたいに、掌の中でゆらゆらゴロゴロしている感じかな〜)」
なんだかモラトリアムだ(ニートではない)が、まあいいやと思う美唯子。
しかし、こんな極楽を絵に描いたような美唯子も、半年前までは新卒入社の大手外資系企業の新卒で配属された部署で、大きなジレンマに陥っていた。
彼女に、さまざまな論理的哲学的課題を与え、普遍的道徳観、倫理観への目覚めとともに、企業倫理の探求を始める、人生の長旅に出るきっかけとなるできごと。
次回からこの話を。
この頃ヒットしていたのは、小林明子『恋におちて』
「なんて自然で唄いやすい曲だろう」
美唯子は、ピアノでコピーし、感動しながら弾き語りをしていた。
ベストヒットUSAでは、ジョン・パー『セントエルモスファイア』、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース『パワーオブラブ』、プリンス、クール&ザ・ギャング、フィル・コリンズ、マドンナなどが流れていた。
―美唯子 生活全般を修正する直前 少しだけ静かなひととき―
序−2 修太郎と出会う
最近なんとなく付き合い始めている事問(こととい)修太郎とは、土日のどちらかに公園や神社で会う。2歳年下で就職が内定したばかりの彼に負担をかけたくないし、母や子猫たちも気になるので、夜は早々に帰宅する。
修太郎とは、渋谷の駅前交差点で出会った。ナンパといえばナンパなのかな。信号待ちでぼ〜と立っていた美唯子の目の前に、爆弾で急襲された髪型の背の高い男が、突然現れた。目を見張る美唯子の目の高さまで顔の高さを下げてじっと目を合わせた。
「美味しいカレーが食いたいんですが、店、知りませんか?」
美唯子は渋谷に疎く、今日も、ただ東急ハンズにオーガニックのキャットフードを買いに来ただけだ。
「ごめんなさい。わかりません」
と言いながらも、困っている人を放っておけない性分で、周りの人を手当たり次第に捕まえては、カレー屋の名前を聞き出そうとした。まるで布教活動のように熱心に尋ねる二人に道行く人は思いっきり引いている。とはいえ、何人目かの人がサムラートを教えてくれた。
「よかったですね」
美唯子が渋谷駅前から東急ハンズ方向へ歩き出すと、修太郎が追いかけてきた。
「一緒にカレー食いましょう」
「え?もうお昼食べてきちゃったんですよ」
「じゃあ、カレー屋で何か飲みましょう」
美唯子は、照れているのか普段通りなのか、微妙な笑顔の修太郎がかわいいと思った。
渋谷の交差点から、道を間違えるだけ間違え、坂をあがったり下がったりして、道玄坂の曲がりくねった裏通り、松涛の住宅街や公園、東急本店、文化村、パルコ、東急ハンズでついでに買い物をし、NHKホール、表参道近くまで歩き、ほぼ渋谷駅半径2km範囲を踏破した。
サムラートにたどり着いたときには夕方になっていたが、修太郎は慌てるでもなく、看板を見つけて階段を降り、たんたんと席に着く。
方向音痴が二人の共通点だと気づく。美唯子は楽だった。
サムラートでカレーを食べる修太郎を見ながら、ラッシーをちびちび飲む美唯子。ナンをちぎっては嬉しそうにキーマカレーに漬して食べる修太郎は、ダール豆のカレーやムルギーも注文していた。
修太郎は特に自分のことを話さない。美唯子に質問をしない。店の音楽がいいねという。
「シタールの音とかっていいよね。ちょっと味見てみる?」
「うん」
修太郎はナンをちぎり、キーマカレーをたっぷりつけて美唯子に渡す。
「やっぱ、人が美味しいという店は美味しいね」
「うん(なんだろう、この自然な空気は)」
美唯子は、彼女にとって二口分以上の大きさのナンを一口でほおばり、1分くらい黙って噛みしめていた。静かな空気が、生まれて初めて心地よかった。
緊張型の美唯子は、今までプロパーの彼がいたためしがない。[さあお付き合い]的カチンコチン症状が彼女をおそい、初めて二人で会う段になると、想像を絶するそそうをしてしまうのだ。
食事中の会話で笑いをこらえきれず噴き出し、相手の顔を食べ物と飲み物でびしょびしょにしてしまう。相手の足にけつまずいて美唯子自身が転び、スカートが裏返ってパンツ丸出しになり、ひざを血だらけにする。出掛けにお化粧や髪のセットがうまくいかず、一緒にいる人が恥ずかしくなるような化粧や髪型で待ち合わせ場所に現れる。靴を左右反対に履いて出かけてしまい、相手に指摘されるまで気づかない。などなど…
それでもいいと言ってくれた人がほとんどだが、全部トラウマになってしまう美唯子は、自分から即やめしてしまう。
大人になってから一緒にいて自然でいられる男性は、他人では初めてだった。
修太郎と住所や電話番号を交換し手を振ったときには、もうすっかり夕飯の時間だった。それからなんとなくほぼ毎日、電話で話すようになった。
修太郎は、常に自分の髪型と戦う男である。今は、デビュー当時のひろみ郷のような、大きなカールが顔を覆うような髪型だ。ほぼ一月に一度髪形を変えている。彼は、月に6〜7センチ髪が伸びる。それが、髪型難民の理由だ。
修太郎は、山口県出身のどこか頼りない男である。俺について来い、とか、幸せにする、とか、俺がルールブックだ、とか絶対に言わない。たぶん自分から結婚しようと言う事もないだろう。美唯子は、彼のそういうところにほっとする。
特に何かにこだわりがあるわけでもなく、仕事や勉強に入れ込むわけでもなく、マニアックなところもない。薀蓄は言わない。車や時計に興味がない。ブランドはよく知らない。マニュアル本は読まない。お笑いとかを見ながらよく笑う修太郎を見てると、なんだか癒される美唯子であった。
「こんなふうが続くはずはないのかな。すごく幸せなんだけどな」
自分で生活する力をつけなければいけない。稼がなければ。母の苦労を子供のころから見てきた美唯子は、人一倍責任感が強い。でも、今のこの楽な不満のない毎日、温かい語らない修太郎といる人生の休暇を長引かせたいと思ってしまうのであった。
「(タマやクーみたいに、掌の中でゆらゆらゴロゴロしている感じかな〜)」
なんだかモラトリアムだ(ニートではない)が、まあいいやと思う美唯子。
しかし、こんな極楽を絵に描いたような美唯子も、半年前までは新卒入社の大手外資系企業の新卒で配属された部署で、大きなジレンマに陥っていた。
彼女に、さまざまな論理的哲学的課題を与え、普遍的道徳観、倫理観への目覚めとともに、企業倫理の探求を始める、人生の長旅に出るきっかけとなるできごと。
次回からこの話を。
この頃ヒットしていたのは、小林明子『恋におちて』
「なんて自然で唄いやすい曲だろう」
美唯子は、ピアノでコピーし、感動しながら弾き語りをしていた。
ベストヒットUSAでは、ジョン・パー『セントエルモスファイア』、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース『パワーオブラブ』、プリンス、クール&ザ・ギャング、フィル・コリンズ、マドンナなどが流れていた。
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