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就職で浮かれ、初心を忘れかける

第一章「株式会社ICM日本 樋泉課長」
―美唯子のモットー その一「弱いものの味方」を修正する―

第一話−1 セクハラ課長 樋泉と出会う
1984年4月、大学を卒業し、米国系大手コンピュータ企業に入社した美唯子。半年間の初期集合研修を終えて配属されたのは統括営業部門の金融系マーケティング部隊であった。

課長以下、係長2人、主任2人、課員は美唯子を入れて3人。得意先、代理店(今で言うパートナー企業)、アドオンソフト開発企業、広告会社、イベント会社などに出向くことが多く、席には誰もいないことが多かった。

配属初日、満面笑みの仁王立ちで美唯子を迎えたのは、課長一人だった。

その名は樋泉宏。背が高く、がっちりした骨格。目がぎょろぎょろした、顔の全ての要素が大きい男だ。

「(クロマニヨン人とはこんな人?)」

美唯子は初対面で感じた。見た目とは対照的に、時々裏返る声が力ない。ひょろひょろした声で美唯子を呼ぶ。

「みゅ〜こちゃあぁ〜ん」

彼女の名前は「みいこ」と読む。何度か訂正した。しかし一向に直そうとする気配はない。

名前は、固体の識別のためにあるものなのだから、本人同士が了解していれば『番号』で呼びあうのもよいだろう。だが、人の名前を思い込みで間違えて呼ぶことを平気でする人や、本人の了承も得ず好きな呼び名で呼ぶ人は、人を尊重するという基本的な倫理観に欠けている場合がほとんどである。

漠然と、美唯子は樋泉に警戒感を持った。

所属は決まったものの、その後個別研修でたまにしか配属先に戻らないうちに、半年が過ぎた。

新しい知識や経験に満ちた研修は刺激的で、ただ楽しかった。合宿研修や研修所の教官は皆尊敬できる人材。カフェテリアのランチは美味しい♪社会や未来について熱く語る同期も頼もしい。大学時代よりずっと密度の濃いアカデミックな毎日だった。

「(就職ってこんなに楽しいの?)」

美唯子は、この後身に降りかかることを想像もしていない。

「これだけ研修にお金をかけてもらったのだから、会社に利益になるようにばりばり働いかなきゃ」

時はバブルの真っ盛り。研修中に同期とたくさん話し、飲み、食べ、踊り、歌い、どんな仕事でもこなせるような気になっていた。はしゃぐ美唯子。自覚のないまま自信過剰になり、初心を忘れていった。

美唯子は、大学で日本の公害問題米国の企業犯罪を研究し、大きな衝撃を受けていた。犯罪を起こす企業と社会貢献をビジネス信条とする企業にはどのような違いがあるのだろう。美唯子は、さまざまなケースを分析して体系的にまとめたいと思った。就職せずに大学院に上がり研究を深めたかったが、これ以上の経済負担を母親にかけられないと思い、自分で大学院の費用を稼ごうと決心した。

就職は、学費を稼ぐだけでなく、実地で企業の風土や文化を感じることに役立つとも思った。中に入って、理想的な企業のあり方を探りたかった。それをライフワークにしようと思っていた。

それが今は、すっかりバブルに浮かれるただのOLになっていた。小さな枠の中で満足をし、考える時間がどんどん減って、感受性が鈍くなる。美唯子は、ひどく楽天的になり、どんどん偏っていった。

1984年12月にはボーパール化学工場事故が起きた。米国ユニオンカーバイド社のインド工場で、地域住民の1万5000人が死亡し、半数近くである60万人が被害を受けた。社会にとって、誰かがコミットして企業倫理を研究しなければならない時期に入りつつあった。

カラオケでみんなで大声で必ず歌っていたのはチェッカーズ『涙のリクエスト』、石川優子とチャゲ『ふたりの愛ランド

ベストヒットUSAではレイ・パーカー・ジュニア『Ghostbusters』、ワム『Wake Me Up Before You Go-go』、ビリー・オーシャン『Caribbean Queen』、ポインター・シスターズ『Jump』、イエスやブルース・スプリングスティーンをかっこよくやっていた。

この後、強烈なしっぺ返しを受ける美唯子。

次のお話から。

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